稲荷神社

稲荷神社の総本社は、京都市伏見区稲荷山にある、元官弊大社稲荷神社である。 祭神は、倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)・猿田彦神(サルタヒコノカミ)・大宮能女神(オオミヤノメノカミ) の三神である。和銅4年(711年)に、泰公伊呂具(ハタノキミイログ)という、挑戦新羅(シラギ)系の 渡来人の後裔が、創建したといわれている。
現在祭神は、三柱となっているが、これを一身で現す時は、稲を担う老人の姿としている。
稲荷神社の祭神は、明治時代になってから決められたのであるが、色々異説もあった。
稲荷とは、稲生(いねなり)の転訛かといわれていて、本来は農業の神であったが、 次第に商売繁盛の神ともなり、農・工・商・交通の業者を始め、芸能人・水商売関係の人々にまで、 広く信仰されるようになった。
此の神社は、延喜式の神名帳にある大社で、天皇の行幸もしばしばあり、藤原氏・足利氏・豊臣氏等が、 社殿を修築したこともあったが、特に庶民の信仰により、常に維持されてきた。
時代が下がると、稲荷の神は仏教の「茶枳尼天(ダキニテン)」と習合(相異なる教理などを折衷・調和すること) してしまい、「茶枳尼天」が玄狐(ゲンコ)に乗る姿に基づいて、稲荷の神を狐と結びつけた信仰が盛んになった。
「茶枳尼天」は、密教の女性の悪鬼で自在の通力を持ち、6ヶ月前に人の死を知り、 その心臓を取って食うというが、その法を修する者は、自在の力を与えるという。 わが国では、その本体を狐の精として、稲荷権現・飯綱権現と同一視している場合もある。
愛知県豊川市の、曹洞宗、妙厳寺の境内にある、全国の「豊川稲荷」の総本社に、この「茶枳尼天」を祀っている。 「豊川稲荷」もまた、全国に多く祀られている。
江戸時代後期には、小吏から老中に出世した田沼意次が、その邸内に稲荷を祀り、 ご利益を得たということなどから、開運の神として、稲荷信仰は流行した。殊に関東には盛んで、 江戸では、下世話に、「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」と言われるほど、稲荷の祠は多かった。
橋本周辺でも、旧家は殆ど屋敷神として、稲荷の祠を建てて祀っている。 また、戦前までは、稲荷講も盛んであった。